世界起業家列伝
スティーブジョブズとはどんな男だったのか?
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アップル社誕生!

世界一の経営者と言えばスティーブジョブズの名前を挙げる人も多いのではないいでしょうか?現在、スティーブジョブズは既に亡くなっていますが数多くの書籍で紹介されたり名言集なども発売されています。スティーブジョブズを主人公にした映画なども話題になりました。そのスティーブジョブズの生涯を調べてみました。スティーブジョブズとスティーブウォズニアックは1976年に会社を立ち上げました。これがアップル社です。

アップル社の社名の由来はアイザックニュートンが万有引力の法則を誕生させた時にリンゴで思いついたとされています。これがアップル社の名前の由来になっているそうです。しかし、スティーブジョブズの生涯を考えてみると、重力との戦いがかなりあった事が分かります。起業家は大なり小なり重力との戦いがありましたが、スティーブジョブズはかなり大きな重力(試練)にも悩まされた時期もありました。しかし、最終的にはiPhoneを世界的な大ヒット商品にするなど大成功を収めています。スティーブジョブズの人生を考える上で、忍耐力と処理能力の高さや発想力には本当に驚愕するものがあります。

有能な人材をアップルに次々に入社させる

スティーブジョブズは、自分の会社に資金もなく人材もいない事が分かりました。そこで、人材を集める事をしています。スティーブジョブズに直々に口説かれた人も少なくはありません。地元のベンチャー投資家だったマイクマークラをアップルに入れる事に成功しました。マイクマークラは、アップルの株を買い後にはCEOになった人物です。

さらに、当時のアップルの主力商品である「アップル2」を販売するために、シリコンバレーでナンバーワンの宣伝上手とも言われていたリージスマッケナもスティーブジョブズに協力する事になりました。その後も、スティーブジョブズはアップルに有能な人材を次々に集める事に成功したのです。

5年間でかなりの有能な人材がアップル社に集結しました。特にマークラは初期の頃のアップル社の資金繰りや株式公開などに絶大な手腕を発揮しています。スティーブジョブズは全てアイディアを自分で考えたと思っている人もいるかも知れませんが、実際には違います。今日のパソコンではアイコンをマウスでクリックするなどは当たり前になっていますが、それを考え出したのはスティーブジョブズではありません。スティーブジョブズは「最良のアイディアは既に存在している」と考えていました。スティーブジョブズはゼロックス社と交渉をしてアップル社の技術者が見学できるようにしてもらう事に成功しています。ただし、その見返りとして公開前のアップル社の株の一部をゼロック社に売り渡しています。
そして、その時のアイディアで今のパソコンにとっては当然と言えるアプリをマウスでクリックするなどのアイディアを手に入れたのです。その後、アップル社は株式公開を行いスティーブジョブズは多くの資金を手に入れて億万長者になったのです。

アップル社から追い出される

ここまでのスティーブジョブズを見ると順調に思えるかも知れません。その後、アイフォンやアイパッドなど世界的な商品を世に提供する事に成功したと思う人もいるかも知れません。しかし、実際のスティーブジョブズは自分の作った会社であるアップル社を追放されているのです。もちろん、追放されるにも理由があります。当時のスティーブジョブズの考えではソフトウェアとハードウェアはセットにするべきだと主張しました。この主張が手痛い目に合うわけです。

マイクロソフト社はソフトウェア会社として多くの会社を取り込んでいます。IBMのその中の一つです。そして、マイクロソフトが次々にメーカーを取り込み始めてウィンドウズをかなり普及させました。それに対して、スティーブジョブズはハードウェアとソフトウェアのセット販売に拘った為に売り上げが伸びずに、逆に市場に参入して2年ほどしかないIBMに収益において逆転されてしまうのです。この時のスティーブジョブズをマイクマーレイは次のように語っています。「スティーブジョブズは毎朝、鏡を覗き込んでマーケット調査をしていた」と。そして、スティーブジョブズは自分の直感を信じてプロジェクトチームを追い立てました。しかし、スティーブジョブズのこのスタイルがアップル社にとって悪影響を与えると判断されて権限を大幅に削減されたり、最後にはアップル社を追放されてしまうのです。

どうもスティーブジョブズという人は頭は抜群によくて回転も速いけど、切れやすく攻撃的になりやすい人のようです。あなたの会社にもいませんか?仕事は抜群に出来るけど、会社の他のメンバーを怒鳴り散らしたり気持ちを逆なでしてしまうような人?そういうタイプがスティーブジョブズだと言えるでしょう。それでも、会社が上手く回っている時は大丈夫かも知れませんが、上手く行かなくなった時は、かなり危険信号だと言えるでしょう。

復活を目指すも困難が続く

普通の起業家の話しであればここで「おしまい」となるでしょう。しかし、スティーブジョブズは違っていました。不屈の闘志があったのです。まず、ネクスト社を立ち上げました。そして、パソコンを販売しだしたのです。当時のネクスト社の人数はわずか6人だとも言われています。そして、教育機関などにパソコンを販売したのです。アップルのライバル会社を立ち上げたという事です。これに対してアップルはもちろんスティーブジョブズを非難しました。この時スティーブジョブズは皮肉っぽく「社員が4000人もいる会社が6人の会社に太刀打ちできないなんてかんがえられないよ」と言ったのです。さらに、スティーブジョブズは1株を残してアップル社の株を全て売却してしまいます。

スティーブジョブズが去ったアップル社の方も会社が好転するわけでもなく20パーセントあったシェアが5パーセントまで落ち込んしまいます。アップル社が苦難に陥っていましたが、それはスティーブジョブズの方も同じでした。スティーブジョブズは新しいコンピュータを売り出そうと考えて出資者から集めた2億5千万ドルも食いつぶしています。スティーブジョブズがネクスト社を立ち上げた頃に、ジョージルーカスは自分の会社のアニメーション部門を買い取ってくれるところを探していました。ディズニーにも断られて、ロスペロー&フリップス社にも断られ、最終的にスティーブジョブズが買い取る事になりました。ジョージルーカスに支払う92パーセントをスティーブジョブズが払い、エド・キャットムルトアルヴィレイスミスが残りの8パーセントを支払っています。

この3人でジョージルーカスから買い取りピクサーという会社にしました。ピクサーでアニメ用のコンピューターを売り出そうと考えたのです。さらに、ピクサー・イメージ・コンピュータを作り出し医療機関に販売しようとしました。しかし、成功には程遠い状況が続くだけでした。アップル社の株を売却した時には1億5千万ドルの資金があったにも関わらず8割以上の使いこんでしまったのです。毎月100万ドルの損失を計上して、さらにねクストの方も状況が打開出来ない状態でした。立ち上げた会社の全てが上手く回らない状態と言えます。ここで窮したスティーブジョブズは思い切った手段を実行します。ピクサーのハードウェア部分を売却したのです。これによりスティーブジョブズはピクサーの大半を失う事になりました。

普通であればこれでジ・エンドとなり終わりだったのでしょう。しかし、スティーブジョブズは違っていました。コアチームを維持して、アニメ部門の才能をお金に変える方法を探し続けたのです。彼らが制作した短編アニメである「ティン・トイ」がアカデミー賞を受賞したのです。さらに、ディズニーと「トイストーリー」を共同製作する事に同意しています。ここにおいてスティーブジョブズは復活したように思えるかも知れませんが、実際には試練はまだ続きます。ディズニーがトイストーリーの脚本に自信が持てずに制作を中止してしまうのです。

1994年にディズニーはヘリコプターの事故でCCOであったフランクウェルズなどの4人の重役を失っています。その時に、CEOであったマイケルアイズナーがCCOをカッチェンバーグに譲らなかったため、マイケルアイズナーとカッチェンバーグは対立する事になります。この対立でカッチェンバーグはディズニーを去ることになるのです。この時に、スティーブジョブズはトイストーリーを再開するために奔走していました。そうしている間にもネクスト社の製造部門とセールス部門は閉鎖に追いやられたのです。スティーブジョブズはネクスト社の大半を失う事にもなったのです。トイストーリーが最初にディズニーと合意していた時の交渉相手はカッチェンバーグでした。しかし、カッチェンバーグが会社を去ってしまった事で交渉相手が変わったのです。

新しいディズニーの交渉相手は、スティーブジョブズにさらに資金を出資するように言ってきました。その案を合意すれば1億以上の興行収入を上げなければいけない条件です。この時(1994年)の時点で興行収入が1億ドルを超えたディズニーの作品はありませんでした。しかし、スティーブジョブズは賭けに出る事にしたのです。トイストーリーが大成功を収める事が出来ればピクサーの株を公開して多くの資金調達が出来ると考えたからです。1995年11月に公開されたトイストーリーは絶大なる大ヒットを記録しました。ビデオ収入と合わせると4億5千万ドルもの売り上げを記録したのです。これによりスティーブジョブズは、さらにディズニーと7本の映画製作の契約を結ぶ事になりました。もちろん、ピクサーに有利な契約を結んだのです。契約が結ばれた1週間後にピクサーの株式を公開しました。これによりスティーブジョブズは億万長者に再び返り咲いたのです。ネクスト社やピクサーの大半を失っても諦めなかった執念の逆転劇と言えるでしょう。最悪な状態を1年で脱却したのです。

アップル社に復帰する

アップルの方に話を戻しますが、1996年にアップル社のCEOはギルアメリオという人物でした。ギルアメリオは半導体業界で実績があり「再建屋」とも呼ばれています。このギルアメリオは新しいOSがアップルには必要と考えて、これを開発出来る人材を探していました。最初はアップル出身であるジャン=ルイ・ガセーが立ち上げたBe社に依頼するつもりでした。しかし、ジャン=ルイ・ガセーとの間で金額の溝が中々埋まらなかった事やギルアメリオがジャン=ルイ・ガセーに不信を持った事から、スティーブジョブズにコンタクトを取りNeXTSTEP(ネクスト社のOS)の採用も考えだしたのです。

最終的にNeXTSTEPの採用が決まるわけですが、この時、スティーブジョブはネクスト社を売りたがっていました。これに対してアップル社は3億7千7百50万ドルとアップル株150万ドルでネクスト社を買収しています。このお金によりスティーブジョブズはネクスト社に出資してくれた方への恩返しと10年以上離れていたアップル社への復帰が決まったわけです。ちなみに、スティーブジョブズのアップル社への復帰に貢献してくれたギルアメリオとは最初は上手く行っていましたが、すぐに対立してしまい結局、ギルアメリオはアップル社を去っています。その後、スティーブジョブズはアップル社の再建へ乗り出します。その後は、iMac、iTunes、iPodなどをヒットさせました。スティーブジョブズは最初にエンターテイメント業界に参入した時は価値を広めるための媒体を持つことが出来ずに、かなり苦労をしています。

しかし、音楽業界では同じ轍を踏まずにミュージックストアを解説したりして順調に売り上げを伸ばしました。その後、アップル社も飛躍的に成長を遂げる事に成功したのです。その後、闘病生活もありスティーブジョブズは亡くなってしまうわけですが、伝説の人物となったわけです。世界中にスティーブジョブズ伝説に憧れる人がいます。尚、スティーブジョブズという人物は非常に攻撃的な人物だったようですが、闘病生活になると非常に穏やかになったとも言われています。闘病中のスティーブジョブズの元にはグーグルのラリーページやセルゲイブリン、マイクロソフト社のビルゲイツなど数多くの起業家や有名人が訪れたと言われています。よくビルゲイツとは比較される事があるわけですが、「ビルゲイツは売れるものを作った、ジョブズは売りたい物を作った」とも言われています。尚、スティーブジョブズの次のCEOはティム・クックという人物ですが、ティムクックはスティーブジョブズと同じで珍しい血液型だったそうです。ティムクックは、自分の膵臓の一部をジョブズに移植することでジョブズは助かる可能性があると知ったのですが、スティーブジョブズの方は断ったというエピソードがあります。

その事からなのか、ティムクックはアップルの技術を医療関係にまで広げるようになりました。尚、ティムクックに対してはジョブズは数回しか怒った事がないとも言われています。その数回のうちに1回が膵臓移植の時だそうです。しかし、アップル社の次期CEOと血液が同じタイプというのも因果を感じます。スティーブジョブズを題材にした書籍は日本でもたくさん販売されています。興味があればそちらも買ってみてください。

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